ウリッセの帰還 終幕!!

昨日、モンテヴェルディの歌劇《ウリッセの帰還》が終幕しました。蓋を開けてみると、満場のお客様で埋め尽くされており、上演機会の少ない貴重な舞台を注目して下さっていた事に感謝致しました。
アントネッロの企画としてこの1年の間でモンテヴェルディの3部作全てを上演するという、前代未聞の壮大な企画で、僕はその最後の重要なタイトルロール役を仰せつかり、その責任を果たすべく、全力で臨みました。

とはいえ、かなりのタイトなスケジュールでの稽古、しかも《オルフェオ》や《ポッペアの戴冠》は割と有名で聴き馴染みもあり、上演機会も少なからずありますが、《ウリッセの帰還》は何故だか上演機会も少なく、その存在だけがそびえたっているので、意外に身体に入れるのに時間がかかりました。
しかし稽古が進むにつれ、自分の中でのウリッセ像が見えてきて、衣装を身に纏った瞬間に、それが一つとなった感覚が得られました。

またそれは今回の演出のコンセプトにもかなり起因するものがあったと思っています。
《ウリッセの帰還》はホメロス作の『オデュッセイア』が原作となっており、ヨーロッパでは1,2を争うほど有名な英雄譚です。ギリシャ神話の神様に翻弄される人間という内容は、数年前に公開された映画の「トロイ」や、「パーシージャクソン」などで我々もよく知っています。しかし日本にもその内容と酷似した『百合若大臣』という話が西日本に伝わっており、『オデュッセイア』との関連も一時期学者の中で取り上げられたようなんです。
その真偽はわかりませんが、今回の演出のコンセプトは正に〔日本〕だったんです。
その衣装を着た瞬間、僕の中でウリッセと自分が重なったと感じました。

そして今回は本番前日G.P.だった3月20日は、奇しくも僕の誕生日でした。37歳という年齢を迎え、自分の中の舞台に対する姿勢が変化したのでしょうか。
7年前、僕が30歳の頃にアントネッロの企画でモンテヴェルディの《オルフェオ》のタイトルロールを演じさせてもらった時。特にエウリディーチェを取り戻せずにトラキアに戻る5幕、自分がオルフェオになったかの様な役とのオーバーラップを感じ、舞台上でまさに涙を流しました。(特にオルフェオは悲劇なのでより強調されてのでしょうが。)
その後、幾度かオペラで演じる際の役への接し方は、それ同様、役に入り込む形でした。

しかし昨日は妙に冷静だったんです。歌いながら何故か全てを上から見ている様な感覚でした。まさにミネルヴァことアテナイなど神様達に操られている人間の様な。

人間とは儚い。

オペラの冒頭に、人は死すべきものと嘆きます。時に支配され、運命と愛に翻弄される。それでも人は生きていく。その過程で人と接し、いがみ合い、助け合い、愛し合う。その全ては決して儚いものではなく、心に残るもの。それを感じた時、運命に翻弄されていようが、操られるのではなく、人の身体に熱い血が通い自ら生きていくのだと感じました。

演じていて冷静だと感じていたのに、やはり舞台を降りると額には大粒の汗が流れていました。決して冷静ではなく、共にいる演者、楽器陣、そしてお客様と共に心は高揚していたんです。

この感覚が良かったのかは分かりません。でも、貴重な体験であった事は間違いありません。そして演じていて、やはり僕は舞台が好きなんだと感じました。
歳を重ねた瞬間に、舞台にいられる幸せを噛み締めながら。

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Photo : Toshihiko Amano

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